大切な人の死で後悔しないために。知っておいてほしい10のこと【後悔は悪いことではない】
大切な人が死んでしまった。
今は後悔しかない、でも取り返しがつかない・・・
大切な人がいなくなると辛いよね。
それだけその人のことを大切に思っていたんだね。
先日、大切な人(祖母)を亡くしました。
そしてたくさんの後悔が押し寄せてきました。
でも今になって思います。
大丈夫、後悔するのは悪いことではないのです。
この記事のタイトルは「後悔しないために」となっていますが、それは「やっておけばよかった」という後悔をできるだけ減らすという意味です。
ほとんどの後悔は、結局この「やっておけばよかった」という思いから来るものです。
そんな「やっておけばよかった」を少しでも減らすために、私が大切な人を亡くした時に後悔したことをまとめました。
- 一緒にいてあげる
- 感謝を伝える
- 写真を撮る
- 話を聞いてあげる
- 手紙を書く
- 思い出話をする
- ほしいものを買ってあげる
- その人のことを知る(考える)
- 合わせたい人に連絡する
- 納得のいく最期を家族で話し合う
この記事を読んだ方が、大切な人とより良い時間を過ごし、「やっておけばよかった」という後悔が少しでも減ることを願っています。
母親から最後に出た言葉は「ごめん」
できる限りのことはやった、それでも・・・
冒頭でも述べましたが、先日祖母が他界しました。
治る見込みのない病気で、最後は治療ではなく痛みを取る緩和ケアの段階でした。
私の母親は、祖母が亡くなる1か月前から介護休暇を取りました。
介護休暇を取った段階では普通に会話もでき、食事もトイレも自分でできる状態でした。
日中はベッドで寝たきりの祖母と色々な話をし、祖母の食べたい料理を作り、祖母が元気な時に作った野菜を畑まで取りに行ったりしていました。
祖母もそんな母をとても頼りにしていたように思います。
そして最後は自力で食事をすることも、トイレに行くこともできなくなった祖母を、夜もほとんど寝ずに献身的に世話をしていました。
私から見ても、母はできることは全てやったと思います。
それでも祖母の呼吸が止まり亡くなる間際、最後に出たのは「ごめん」という謝罪の言葉でした。
私を含め、その場にいた家族全員が、母の口から出た意外な言葉に驚きと、そして涙したのを覚えています。
「後悔しない」なんてことはありえない?
後日、母にこの時の話を聞いてみました。
母から見て、祖母は元気だった頃から普段の生活の中で色々なことを我慢している(させている)ように感じていたそうです。
結局そのまま何もできず亡くなってしまったことに対して、あのような謝罪の言葉が出たそうです。
最後は確かにできる限りのことはしてあげましたが、それまでの何年、何十年という積み重ねがあります。
また、私が思うにそれだけではなく、人には言えない色々な要素が重なっての「ごめん」だったのだと思います。(実際思い当たる節もあります・・・)
私は母の姿を見て、
生前どれだけ頑張っても、結局後悔しないなんてことはありえないんじゃないか
という思いに駆られています。
それと同時に、別に後悔することが悪いことではないということも思うようになっていきました。
なぜ後悔するのか
私自身も、大切な人(祖母)が亡くなり、まず最初にやってきた感情は「悲しみ」ではなく「後悔」でした。
- 「どうしてもっと話しておかなかったんだ」
- 「もっと色々な場所に連れて行ってあげたかった」
- 「もっと好きなものを食べさせてあげたかった」
挙げ出すときりがありません。
なぜこのような後悔の感情が沸いてくるのか。
それは、「やればすぐできるのにやらなかった」ことが少なからずあるからではないでしょうか?
「後悔先に立たず」
今この言葉がとても身に染みています。
大切な人は急にいなくなります。
私の祖母も亡くなる1か月前までは普通の生活を送っていました。
後からやろうと思っても遅いのです。
本記事を読んでいただいている方が私と同じような後悔をしないためにも、私が経験した「やっておけば良かったこと」を記録しておきます。
後悔しないためにやっておくべき10のこと
終わりを思い描くことから始める
これは世界的ベストセラー7つの習慣で書かれている、習慣の内の1つです。
大切な人との別れは必ずやってきます。
何をしたいか考える前に、大切な人の最期にどうしていたいか(どうなっていたいか)を考えてみましょう。
- (大切な人が)十分に幸せな人生を送ることができたと胸を張って言える
- 愛していたことを十分に伝えている
- やり残したことがないように手助けをした
あなたの思い浮かべた大切な人との一番良い形の最期を思い描いておきましょう。
ここからは、実際に私がやっておけば良かったと後悔したことを紹介します。
皆さんの思い描いた最期を実現するために、少しでもお役に立てればと思います。
1. 一緒にいてあげる
シンプルですが一番大切なことです。
そばにいるだけで安心感を感じる、あなたにもそんな人がいるのではないでしょうか。
ただし、ひとつ注意点があります。
ただ一緒にいるだけでは不十分です。
何をして過ごすか、何を考えて過ごすかが重要です。
私も祖母と同居をしていましたが、「ただ一緒にいるだけ」でした。
特に何をしてあげるわけでもなく、祖母のことを考える時間も少なく、いなくなって初めて失ったものの大きさを痛感しました。
手を握る、抱きしめる
一緒にいるとき、さらにもう1歩踏み込んでみます。
大切な人の手を握ったり、抱きしめたりしましょう。
人はお互いに肌が触れると落ち着くものです。
暖かい温もりをお互いに交換し合いましょう。
2. 感謝を伝える
日頃の感謝を伝えましょう。
何度でも言いますが、いなくなってからでは何もすることができません。
恥ずかしがらずに思っていることを伝えましょう。
私の場合、病気のことは祖母に告知していませんでした。
いきなり過度に感謝を伝えると本人に勘付かれる可能性があります。
伝え方にも工夫が必要です。
3.写真を撮る
大切な人が亡くなると、その人の笑顔、楽しかった時の思い出の写真がもう一度見たくなります。
撮りためてある写真を見返してみると、意外にそういった写真は少ないものです。
大切な人が元気なうちに一緒に写真を撮っておきましょう。
私が今になって撮っておけば良かったと思うのは、次のような写真です
- 私の息子(祖母から見るとひ孫)と一緒の写真
- 家族全員の集合写真
- 飼い犬と一緒の写真
特に私の息子はまだ2歳ですが、朝起きると必ず祖母の膝の上に乗ってテレビを見ていました。
絵本もたくさん読んでもらいましたし、ご飯も毎日のように食べさせてもらいました。
しかし、2歳の時の記憶はおそらく息子が大きくなると消えてしまうでしょう。
今となっては、その事実にとても心が痛くなるのです。
息子が大きくなった時に、
「毎朝こんな風におばあちゃんに抱っこしてもらっていたんだよ」
「おばあちゃんに絵本を読んでもらうのが本当に好きだったんだよ」
と教えてあげられるように、写真を撮っておけばよかったという後悔は非常に大きいです。
大切な人がいる間に、一緒に写真を撮っておきましょう。
遺影に使う写真も、生前に撮った写真から選ぶことになります。
病気になると途端に痩せてしまい、思ったような写真が撮れない可能性もあります。
亡くなった後で思い出すのは、大切な人が元気だった頃のことが多いはずです。
最近は笑顔の写真を遺影にすることも多いです。
大切な人が元気なうちに写真を撮っておきましょう。
4. 話を聞いてあげる
大切なのはその人のことを心の底から考えることです。
日常の会話も大切ですが、自分がその人にしてあげられることはないかを真剣に考えてみましょう。
私は祖母が「腰が痛い」「足が腫れてきた」と言っているのに、
「そのうち良くなるよ」
としか答えず、ほとんど話を聞いていませんでした。
急にいなくなる未来を想像しておらず、忙しさに負けてこのような返答になっていたわけです。
祖母は「そうだね」と納得したような返事をしていましたが、思い返すと少し寂しげな表情をしていたように思います。
痛い箇所を見てあげたり、さすってあげたりすれば良かったのにという後悔です。
5. 手紙を書く
あなたは手紙を書いたことがありますか?
今の時代、メールやSNSで簡単にコミュニケーションが取れます。
しかし、手書きにしか出せない温もりがあるのも事実です。
何も特別なことは書かなくて良いのです。
日々感じていることをそのまま手紙に書いて渡してみましょう。
きっと喜んでくれるはずです。
祖母の遺品整理をしていた際、私が子供のころに送った手紙がすべて大事に保管されていました。
子供が送った手紙ですから、中身は「言うことを聞かなくてごめんなさい」「兄弟とケンカしてごめんなさい」など、大したことないものばかりです。
それでもすべてを大事に保管しておいてくれたのです。
6. 思い出話をする
大切な人とは数えきれない思い出があるはず。
そんな思い出話をしたり、昔のアルバムを見て幸せだった時間を思い出すのも有意義な時間になります。
「自分はなんて幸せな人生を送ってきたんだ」
最後はこういった気持ちで日々を過ごせるように、一緒に幸せな人生を振り返ってあげましょう。
7. ほしいものを買ってあげる
質問です。
あなたの大切な人が今一番ほしいものは?
すぐに答えが出てきたあなたは、日ごろから大切な人のことを思いながら生活できています。
逆にほしいものがわからないあなた、普段の生活の中には大切な人がほしいもののヒントがあふれています。
この記事を読み終えたら、大切な人のことを少し考えてみましょう。
人に何かをしてあげたいと思った時、最初に思い付くのがプレゼントという人も多いのではないでしょうか。
そのようなときに迷わないために、普段から好きなものを聞いておくことが大切です。
8. その人のことを知る(考える)
あなたは大切な人のことをどれだけ知っていますか?
祖母が寝たきりになった時、私は以下のことを考え、そしてすぐには答えが思い当たりませんでした。
- 食べたいものは?
- やりたいことは?
- 会いたい人は?
もっと細かくなると
- 好きなテレビ番組は?
- 好きな歌手、音楽は?
- 好きな本は?
これは普段からその人のことを考えていないと、すぐには答えが出てきません。
常に大切な人がどうやった笑顔になる、幸せになるかを考えながら日々過ごすことが大切です。
また、大切な人に万が一のことがあった場合、以下のことも考えないといけません。
- 棺の中ではどんな服を着せてあげる?
- 棺に入れる副葬品は?
- 形見に何をもらう?
当たり前ですが、大切な人がいなくなってからでは聞くことができません。
事前に考えておきましょう。
9. 会わせたい人に連絡する
私の祖母はわずか1か月の間にどんどん衰弱していき、次第に話すのも辛くなっていきました。
病気のことは家族以外には話していなかったので、お見舞いに来る人もいませんでした。
家族以外の親しい人(祖母の兄弟など)に連絡をしたのは、亡くなる1週間ほど前でした。
そのころにはもう声も出なくなり、うなずくのがやっとの状態でした。
久しぶりに兄弟に会ったのに、自分が話せないのは辛かっただろうと思います。
ここでの後悔は、話せなくなる前に親しい人に連絡を取り、会いに来てくれるようお願いすればよかったということです。
ただし、ここでも病気の告知をしていない場合などは、勘付かれないよう注意が必要です。
10. 納得のいく最期を家族で話し合う
最後に、もし大切な人が病気などで別れの時が近い場合、家族で納得のいく最期を話し合うことが大切です。
私の家族は結局、病気のことは本人には告知をしませんでした。
病気のことを知ってしまうと、人一倍落ち込んでしまう性格を知っていたからです。
そして、最後は治療ではなく緩和ケアを選択しました。
私たち家族が重視したこと、それは
自分たちのことより、大切な人のことを最優先に考える
ということです。
下手に延命するより、本人ができるだけ楽に、痛みがないように見送ることを選んだのです。
これは残される家族からしてみると、とてもつらい決断です。
たとえ寝たきりでも、話せなくても、「生きている」という事実で救われるところが非常に大きいのです。
ですが、それは本人にしてみると病気の痛み、苦しみが続くということです。
私たちは病気のことを知ってから、何度も話し合いを重ねました。
そして、最後には泣きながら緩和ケアに切り替えることを選びました。
私たち家族の決断は上記の通りですが、それぞれの家庭で選択する答えは違ってくると思います。
繰り返しになりますが、大切なのは
自分たちのことより、大切な人のことを最優先に考える
ということです。
皆さんも家族で十分に話し合い、悔いのない決断をしてください。
その他にやるべきこと
泣きたい時は泣く、覚悟を決める
祖母が病気になってから、私たち家族は何度泣いたかわかりません。
家族で話をしている時もそうですし、私は一人の時間も泣いていました。
ですが、泣きたい時に泣いたことが結果的には良かったと思います。
何度も泣きながら大切な人のことを考えることで、次第に覚悟というものが生まれました。
いざという時に冷静になることができ、後悔しない行動も取れたと思います。
しかし、いくら覚悟が生まれても、いざという時にはやはり涙が出てきます。
こればかりはどれだけ覚悟を決めたところで防ぎようがありません。
泣きたい時には泣きましょう。
その涙はあなたがその人のことを大切に思っている何よりの証です。
行政の補助を受けよう
介護が必要な状態になると、行政から様々な補助が受けられます。
訪問看護の利用料負担や、介護福祉用品(室内の簡易トイレ、手すりなど)購入補助など様々な支援を受けました。
また、個人的に介護保険などに加入している場合も保険金を受け取れる場合があります。
行政の補助を受けることでお金の負担を減らし、大切な人とより良い時間を過ごすことができるようにしましょう。
最後に 大切な人の死で後悔するのは悪いことではない
後悔のない看取りはない
記事冒頭の私の母のように、どれだけその人のために尽くしたとしても、後悔のない看取りは存在しません。
後悔するということは、それだけその人のことを大切に思っていたということなのです。
今という時間の尊さ
私の祖母は、12月中旬までは今までとほぼ変わらない生活を送ってきました。
しかし、12月下旬に寝たきり、食事も取れなくなり訪問看護に切り替え、そのまま1月中旬に亡くなりました。
最後はとてもあっけなく終わってしまった感があります。
亡くなった後は、日常のちょっとしたことで「〇〇しておけば、してあげれば良かった」と思うことが非常に多くなりました。
祖母のおでんが食べたい
⇒ 料理のレシピを聞いておけばよかった
祖母の好きな歌手がテレビに出ている
⇒ CDを借りて聞かせてあげればよかった
野菜がないけど、この寒い中に畑まで取りに行くのは大変
⇒ 畑仕事を手伝えばよかった
大切な人が病気になってからでは遅いです。
極端な例ですが、今朝「行ってきます」と出かけて、事故などでもう二度と会えない可能性もあるのです。
今、当たり前に過ごしているこの時間は、実はものすごく尊い時間なのです。
ここまでこの記事を読んでいただき、何か感じることがあれば、すぐ行動をしてほしいと思います。
一緒に過ごす当たり前の時間が、実は当たり前ではないという自覚を持って毎日を過ごしてください。
後悔すること、悲しむことをやめる必要はない
最後に、この記事のタイトルにもなっているように、後悔すること、悲しむことは悪いことではなく、無理にやめる必要はありません。
後悔することでその人のことを思い出し、残された人のことを人一倍大切に思うこともできるはずです。
悲しみは時間が解決してくれます。
大切な人に普段から何をしてあげられるか、考えることが大切です。
あなたも誰か1人大切な人を思い浮かべて、早速今から何ができるか考えてみましょう。
コメント ※スパム対策のため管理人確認後の掲載となります